いっそのことエラーメールでも帰ってくれば良かったのに。
返信のないことに妙に苛立つ自分に余計に苛立つ。
「届かないメール」とか「メールの返信を待つ私」とかそんなチープでありきたりなフレーズが,やすっぽい歌謡曲のような表現にしか見えない。当たり前か。やすっぽい言葉を並べただけだから。

なんだか些細なことに泣けてくる。
2ch系ブログで母の日記念かなんだか知らんが関係のスレッドが照会されているのをみては切なくなり(ネタとわかっていてもダメ),村山由佳のBAD KIDSを読んで切なくなり(恋って切ねぇとか,友人(ゲイ)は自分とはまた違う壮絶な世界で恋をしているんだろうなぁとか),ブックオフTMネットワークのCDがたたき売りされているのを見て切なくなり(そういえば父親が買ってくれた……とか思い出した),まぁそのほかにもたくさん切なさ全開なのだけれど,そういうのに流されて鬱々としている自分にイライラして,あぁそろそろ文章を書く頃なのかと思ったけれどどうなんすか。ゲイ(社内片思い)とヤンデレ(病みながら妊娠中)と女子高生(中二病)がみんな好き勝手に自分のコイバナを語っていく様を見ていると,リアルライフで胸がきゅんきゅんすることが一切無い僕は一瞬異常なのかと思ったりもするのだけれど,基本的に奴らは病んでるじゃないかと分析できるあたり,僕はまだ大丈夫だと思う。でもやっぱり泣けてくる。些細なことなのに。

潔癖性です。と言い切るほどの根拠はない。

替わりはいくらでもある。替わりはいくらでもいる。別にそれじゃなくてもいい。別に僕じゃなくてもいい。別にあなたじゃなくてもいい。きっと探せば替わりはそのうち見つかる。人の記憶は薄れいくものなんですって。僕はそう信じたい。だって,だから生きていけるんじゃないのですか。ごまかしているうちに,きっとそれが本当のことになるんです。苦しいのに,自分に正直に生きるなんてしなくていいんです。雨が何を流してくれますか。どうにかなった心を洗ってくれるとでも? 「自分に正直に生きる」なんて反吐がでる。気持ち悪い。
きっと僕は潔癖性です。

正立する世界を僕はどうやって覗いているのか

僕はビー玉を初めて手にしたとき,ビー玉の中を見たくて仕方なくて,よく見えるように目に近づけた。ビー玉の中には何もなくて,向こう側が歪んで見える事に気付いた。僕はその歪みを矯正したくて,焦点を向こう側の世界にあわせた。
ビー玉を通して覗く世界はひっくり返っていた。何度やっても覗き込んだ先の世界は決して正立ではなかった。
光の進み方があってね──と父は言った。ふーん,と僕は答えた。
今の僕は,ビー玉を手にしたらもう一回くらい,ひっくり返った世界を見てもいいかな,と余裕なフリをするだろう。

それから3年以上経つというのに僕は全然成長していない

灰谷健次郎『海になみだはいらない』を本屋で手にして,後ろの紹介文を読んで,あまり触れたくないのだけれど,でもたまには思い返すのも悪くないかと思えるような時期のことを思った。レジに持っていき,いつものように行き帰りの電車の中で少しずつ読んだ。
記憶は定かではない。また,記憶は大抵意図したように記憶となる。記憶は記号ではなく,社会記号である。それ故に,僕は過去を憎み,嫌い,離れられず,苦しんでいるふりをし,誰からも嫌われたくないキャラクターをつくろうと必死でいる。

「悲しかったら涙なんかでるかい」──そんなフレーズは幼心に印象的だった。
転校した先の小学校になじめず(なじもうとせず)にいた僕を父親が平日の昼間連れ出した。僕は適当な理由をつけて学校を休むことになり,父も休みを取ったらしく車で出かけることになった。父は僕を,いつも用足しやら買い物やらのために行っていた街ではなく,その逆方向の街に連れて行った。どこかの喫茶店ファミリーレストランかわからないけれどそんなような所の窓際の席に座った。特にこれといって特別な話はしなかった。ホットケーキを食べたような気がする。大したことはしなかった。昼ご飯を外で食べたというだけだった。
何かを目的とするものでもなかったから,ほとんど車で移動するだけだった。あちこちまわって,「この辺が昔何々で何時代の何とかが……」というような話を父から聞いている感じだった。帰りに本屋さんに寄った。父も僕も銘々に店内を歩いた。小学生の頃だから,マンガもそれほど読んではおらず(マンガを自分から読み出したのは中学になってからだ),専ら児童文庫と名付けられそうな類の本ばかり読んでいた。もっとも今となっては内容やら本の題名やらを思い出せなくなってきているが。父が一冊何か買おうと言い,僕は一冊本を選んだ。その本が『ひとりぼっちの動物園』(灰谷健次郎)だった。うちには本が沢山あった。灰谷健次郎の本も何冊かあって,ある限りにおいては読み切っていた。多分その頃の僕はもう一冊灰谷健次郎の本が増えてもいいだろう,くらいの気持ちでその一冊を選択したんだと思う。
帰ってから夕食を挟み寝る前までに読み終えて,一読後の感想は「ちょっと失敗したかな」だったような気がする。すこし難しく感じたところがあった。難しく,つまり,描かれていることに実感が湧かなかったのだと思う。「子ども館」とか「ドヤ街」とか,いまならなんとなく想像できることも,当時は想像できなかった。その意味で「三ちゃんかえしてんか」という長目の作品が気になって何度も読んだ。「これどういう意味?」なんて無邪気に親にも聞く性格でもなかったし,なんとなくそういうことを大人に聞いてはいけないような気がしていた。今では聞かなくてよかったと思っているし,逆にどういうことか聞いて親がどう答えるか試してみたいとも少し思うこともある。
学校には朝のホームルームの時に,何でもいいから一言みんなの前で話さなくてはならないスピーチの時間があった。僕は相変わらず転校したばかりのなじめない状態が続いていたし,他の人の話も聞いてなんか感じ入ることもなく,苦痛な時間だった。が,順番は容赦なく回ってきたから,何をしゃべろうか考えて,その灰谷健次郎の本を買って貰ったということを話した。もちろん学校を休んで出かけていたことは伏せ,『ひとりぼっちの動物園』という本を手に入れ読んだということだけをしゃべった。案の定他の生徒の反応は大したものではなく,担任の先生はそれなりに嬉しそうな顔つきをしていた。おきまりのように「みなさんも本を読みましょうね」というようなことでスピーチの時間を切り上げたように思う。
もっとも僕には熱く灰谷健次郎について語り合いたい願望なんてこれっぽっちもなかったから,他の生徒の反応はどうでもよかった。無関心でいて欲しかった。そんな中,ただ一人だけ,昼休みに話しかけてきた人が居た。「どんな本だったの?」と聞かれ,「うーん,うまく説明できないから読んでみたら」と適当に返答した。その人は「私,本読まないから」という。「じゃぁ,なんで本の感想なんて聞きたいの?」とこちらから聞くと「転校生が読んで,先生が感心するような本ってどんな本なのか知りたくてね」となるほどと思わず納得するような答えが返ってきた。「短編集だからいろんなお話が入ってた。別におもしろくないと思うよ」と言うと「ふーん」と言ったきりその人は黙った。実際に僕はおもしろくないという感想を一度は持ったのだから間違ってはいない,と自分を納得させた。そして,昼休み時間に話しかけてきた人を心底軽蔑した,ということをいまだに忘れてない。相手が誰だか忘れたけれど,軽蔑するという行為を意図的に行ったということが強烈な印象として残っている。
そんなことはともかく,それでも灰谷健次郎の本だから,という理由でなんだかその本が手元にあることの安心感のようなものを得て,寝る前に何度も読み返えす日が続いた。自分が選んで買って貰った以上,親には読んでいるというポーズを見せないと悪いような気がしていたから,というのももちろんある。けれども,読んでいくうちに当初「ひとりぼっちの動物園」というタイトルに惹かれたにもかかわらず,短編集を何度も読むと大概起こりうることで珍しくも何ともないのだが,表題作以外の作品もよく見えてきた。
「オシメちゃんは6年生」という短い作品の中で「悲しかったら涙なんかでるかい」というフレーズをみた時,なにか心に不思議と印象に残った。それは何というか「予感」とでも言うべきものだと思う。すこし大袈裟に言いすぎたかもしれないけれど,誰にでも一つや二つ,特に印象深いわけではないのに,思い返すといつも思い出す記述があるのではないかと思う。何がそれほど印象深いのかわからないのだけれど,そして,この作品はそれほど思い入れが深くなることもなかったのだけれど,「親が死ぬ」ということと「本当に悲しい」ということとがどこかしら現実的であり,かつ非現実的であったように思ったのだろう。つまり親は現に生きているわけだし,たかが小学生が親の死を真剣に考えられるわけもなく,けれども漠然と「親が居ない」という世界を想像することも可能だった僕はそこに「悲しい」という感情が抜けていたことに気付いたのだった。つまり,その頃の僕は「死」と「悲しみ」という二つの項がうまく結びつかずにいた。そして,他人の死を何度か経験した今の僕も,なにか「死」と「悲しみ」がうまく結びついていないように思えて仕方ない。病気で亡くなった家族や,予想しうる形で自殺した友人達への「死」に対して僕は「悲しみ」をうまく考えられなかった。家族であろうとそうでなかろうと人が居なくなることの現実はあまりに重くて,同時に軽いと思う。僕は誰かがいなくても日常生活上笑うことが出来るし,泣くことも,怒ることも,悲しむことも出来てしまう。完全に忘れることはなくても,瞬間忘れることは十分可能だ。だから「悲しかったら涙なんかでるかい」というのは実感としては,いまだによくわからない。それに対して僕自身が処理できないから残っているんだろう。
電車の中で一つずつ作品を読み進めるたびに,電車の中で読む本じゃないのかもと思ったけれども,読後感に浸る間もなく目を上げればすぐ現実世界に戻れるという電車の中は,すこし感傷的になっている僕にとっては丁度よい場所だった。「久しぶりに」という形容をするのも仕方ない程遠ざかっていた灰谷の世界に触れた。そして,遠ざかっていた時期にすこしは「仕組み」のようなものが見えてきた僕は,当時とはまた違う感想を持つ。相変わらず僕は死にたいと思うし,かといって明日死ぬことは無いだろうという生活をしている。

    • [上の文章は2003年4月に書いたもの。ニュースで灰谷氏が亡くなったことを知った。いつもなら昔書いた文章をここに載せるときに若干リライトするのだけれど今回はリライトしていない。そのことに深い意味は無い。けれど。僕は相当昔から灰谷作品が身近にあった。10代の頃も20代の頃も,定期的に読みかえしている。彼の教育哲学や行動に深い共感をするわけでもないのに。僕はそんな話を一度だけメラムンの緑さんにしたことがある。「あぁ,何となくわかる」と彼女は言ってくれた。それがとても嬉しかった。そんなことも思い出した。]